プリンタ市場はがんばってほしい

プリンタが好きだ。特に家庭用のものが。

 

 

本当に僕が子供の頃に存在していたプリンタは縦8ドットしかないドットインパクトプリンタで、英数字といわゆる半角カナが印刷できるだけだった。紙送り機構は紙に開いた穴に回転するトゲトゲを噛ませる必要がある原始的なもので、A4用紙などに印刷することはできず両側に穴の開いた専用の紙を準備する必要があった。穴の開いた部分はミシン目で切り離すことができて、切り離すと綺麗な紙になった。そのころのプリンタの用途は本当に「コンピュータで何らかの計算処理や情報処理をした結果を印刷する」というものだった。

 

 

ドットインパクトプリンタのインパクト部分が16ドットや22ドットに増え、プリンタが漢字のフォントを持つようになって漢字が印刷できるようになりワープロが出てきて少し世界は変わった。フォントがビットマップフォントだったために大きな文字は印刷できなかったし、小さな文字も斜め線はドットのガタガタがぱっと見て気になる程度にはガタガタだった。1983年に発売されたPC-PR201は定価298,000円もしたけど、普段の生活で見慣れている活字とは程遠い品質の印刷物しか作れなかった。それでも日本語が印刷できるというのは素晴らしくて、いろんな人がきっといろんな文章をこのあたりのプリンタで印刷して世界を盛り上げたりしてたに違いないと思う。

 

 

その後ワープロが裕福な家庭だと一家に一台の時代になってビットマップフォントは24ドットから48ドットに高精細になってアウトラインフォントも当たり前のように使えるようになって、1994年にはBJC-400Jという59,800円でカラーで写真が印刷できるプリンタが買えるようになった。このころにはWindows3.1でMS-Wordを使えるようになっていたし、理系の学生は頑張れば家のPCでTeXを使えるようになったので素人目には印刷物かと思えるようなものが個人で家で作れるようになった。街中で売っている雑誌と比べると品質は劣るが、「別に、まあ、そこまでこだわらなければこれでも全然いいよね」と言えるレベルのものが誰でも作れるようになったのだった。PC-PR201からわずか10年でだ(そしてそこから数年でワープロ専用機は消滅した)。

 

 

僕はこの、「過去には資本が投入されためっちゃ高価な機材を扱うことができる特権階級の人たちしか作れなかったものが」「家庭でそのへんの店で買えるような機材で、やる気になれば誰でもが作れるようになる」というのがめちゃくちゃ好きで、だからパソコン自体も好きだし、プリンタも好きだった。インターネットのせいでWindows95が普及して、年賀状印刷をしたいという理由でプリンタが普及して、それが購入された理由はそういう理由だったとしても、実際ほとんどWebとかメールとか年賀状にしか使わなかったとしても、いざ何か印刷物を作りたいと思ったときに、A4のページが出てきてWYSIWYGっぽい環境で文章を編集できて印刷ができる機械が家にあって、すぐに印刷できる、というのはとてもいいことだと思っていた。

同じような理由でCD-Rが出てきたときもとても嬉しく思った。CD-ROMが一般的に使われるようになってから一般人がCD-Rを使ってCD媒体でデータを配布できるようになるまで数年のタイムラグがあり、その間CD-ROMに入るような大容量データを配布できる人は限られていた。いまではだれでもがディスクメディアにデータを書き込んで音楽CDや映像ディスクを作ることができる。PCはその上で動作するソフトウェアも同じPC上で作られているから、いま動いているソフトウェアは頑張れば自分でビルドすることもできる。PCを使っている限り、特にLinuxを使っているとき、「作る側」と「使う側」の境界が限りなく無くなっていてそれはとても価値があることだと思う。

 

 

しかし最近ではとっくに年賀状文化は廃れてしまったし、ペーパーレス化が進み印刷物を作りたいという需要自体が減ってしまい、プリンタが売れなくなっているということだ。スマホしか使っていない連中は、A4の大きさの紙の創作物を自分が作りたいと思うこともないんじゃないかという気がする。日本中のかなりの人がプリンタを持っていて、いつでも自分の好きな印刷物を作れた時代は終わってしまうのだろうか。一歩先に需要がなくなった光学ドライブ(ブルーレイ)は最近すっかり新機種が出なくなってしまった。時代の流れと言えばしょうがないのだけど、家庭用プリンタという素敵なものがなくなってしまう事態は個人的にはかなり寂しい。