「底辺声優の所感」を読んだ俺の話

やりたい職業はたぶんあった。ゲームを作る仕事がやりたいと思っていた。でもなんとなく微妙な気がしたので大学に進学した。大学で勉強している途中にゲーム業界に自分の居場所があるかどうか不安になって、より需要が安定してそうな組み込みプログラマになった。こんな僕からすると高い競争率の中で声優になることを志してずっとがんばってきたのに次にまた競争率の高そうな大学教員を選ぶこの人はとても強そうですごい。頑張ってほしい。

 

 

この下は自分語りなのでもうほとんどの人は読まなくてよい。

 

 

さいころはいろんなことがやりたかった。小学校高学年になってからゲーム好きになってBASICで簡単なゲームなども作れるようになったので将来はゲーム作る人になったりできたらいいなあと思っていた。けど僕はそっちの進路に近づきはしたけど結果的にゲーム屋さんにはならなかった。答えは今から考えると明らかであり、それは僕には勇気がなかったからというのと、客観的に世の中を覚めた目で見過ぎていたからだということだ。

 

自分が高校を卒業したころは、ゲーセンではストリートファイターIIが大ヒットしていて、家庭用ではスーファミが出てきてゲームの規模がめちゃくちゃ大きくなって、というビデオゲームの黄金期を迎えていた。当時のパソコン雑誌のメジャーどころであるI/OとかPIOとかを見ていてわかっていたが高校生でアセンブラでそこそこの規模のゲームを作って雑誌に投稿しているような人が全国に何人も居た。彼らは卒業後、あるいは卒業するのを待たずに大きなパッケージゲームを作る仕事をしたりしていた。ゲームの雑誌を見ると社会人になるまでプログラムをやったことがなかったような人でもゲームプログラマになったりしていたが、それはたまたま偶然それができるようになったのがゲームの規模が小さかったころで、そのころにちょうどその仕事を始め、実力もあったり、境遇に恵まれたからできたというもののようにも思えた。彼らはビデオゲームがもっともっとうさんくさかった時代に仕事を始めた世代で、僕らみたいにスーパーマリオドラクエが中学生の頃にヒットして、ゲームを作りたいと思うガキんちょが量産されてしまった世代とは違うのだ。僕らの世代のなかでゲームを作ることを仕事にして頭角を現すためには学生のうちから抜きんでている必要があるのではないだろうか。

 

こんな実力ではだめだ。だってアセンブラで数100バイト書くだけで頭が混乱してきてしまう。64KBオールマシン語でプログラムを書くなんてどうすればできるんだ。でも市販のゲームはだいたいオールマシン語であるべきだしそれができないやつはプロとしては二流だ。業界に入ってからも成長できるという楽観的な考えもできないことはないが、ゲーム業界はもうめちゃくちゃ巨大な産業になってしまっているけど、それでも働いている連中は若い人ばっかりだ。つまりいまの20代のスタープログラマーたちは10年後も20年後もずっと現役プログラマーで居続けられてしまう。これからそこにさらに才能あふれる高卒の連中が参入していく。とするとそこにまぎれた僕はなにか彼らから抜きんでて存在感を示せるだろうか。無理じゃないだろうか。

 

こういうときはモラトリアムに頼るしかない(当時はモラトリアムなんて知らなかったが)。そんなわけで情報系の大学に進学するという潰しの効きそうな進路を選んだ。4年間、大学でコンピュータの勉強をする傍らゲームを作ったりして、それでいけそうならそのときにゲーム会社を検討すればいい。

しかし大学に行ってみるとそこには化け物がいっぱい居た。ジャンクで買ってきたハードを自分のマシンに強引につないだあげくデバイスドライバがないから自作しちゃうやつとか、自分が使ってるマシンにUnixを移植しちゃう先輩とか、ゲーム会社のバイトのくせに主力プログラマーとして活躍してるやつとか、そんな奴らだ。

さらにそのころになるとゲームの大規模化が激しくなり、100人以上の体制でゲームを開発することも普通にみられるようになった。大学のサークルやバイトなどでの大きな開発に携わったこともあったが、少し手伝ったときにスタッフロールなどに名前が載ったり載らなかったりした。ほんのちょっと手伝っただけでスタッフロールに載ったり、がっつり手伝ったのに載らなかったりすると、もうスタッフロールなんて信用できない、みたいな気分にもなった。そのころには64KBオールマシン語のプログラムも楽勝で書けるようになっていたけど6年くらい遅い感じだった。

 

自分がしたいことは何なのだろうか。これまでにないゲームを作りたいみたいなものがあった。自分のセンスでイケてるゲームをつくって、世の中に新しい潮流を粗削りでもいいから示したいみたいなそんなやつ。でも進路について考えていたころにちょうどマリオ64が出て、その後バーチャファイター3が出てきて、それらに込められたチャレンジと精緻な作り込みに衝撃を受けた。世の中ではもう新しいから粗削りでいいよねでは済ませられないのだ。ここまで新しいゲームがここまで完璧に作りこまれて世の中に送り出されてくる時代になってしまった。この困難なミッションをやりとげるためには相当な熱意が必要で、その熱意が自分にあるかというと到底ない気がした。

 

そんなわけでゲーム屋さんになるのをあきらめ、結果的に自分の名前が出るような仕事をあきらめることになった僕は、自分の得意分野が活かせて、かつ社会にそれなりに需要がありそうな組み込みプログラマを選んだ。当時は組み込みプログラマなんてものが世間にあまり認知されてなくてチャンスだった。そして未経験者や大学でコンピュータを学んでこなかった奴らもいっぱい居たのでここなら上位20%に居続けることができるだろうという目論見であった。まるで小学生の頃からアセンブラをばりばり使えたかのような振りをしてたら配属直後からいきなりICEを使わされてバスエラーの解析をやらされたり、なぜかソースが消失してしまったコードにバイナリパッチを当てて強引に動かすようなことをしていたら周りから一目置かれるようになり今に至る。組み込みソフトにスタッフロールはないから名前はでないし、NDAばかりなので仕事のことをネットで吐き出したりできないしそのへんは目立ちようがない。

中学生の頃に無駄に身に着けた、16進のASCIIコードの羅列になったアルファベット列をそのままだらだらアルファベットとして読めてしまう能力(53 6d 69 6c 65 を Smile と読める) とか、色を見ればRGBのカラーコード(#88cceeみたいなやつ)がだいたいわかるとかの能力はたまに役に立っている。

 

組み込みプログラムも大量生産される時代があり、安いプログラマが大量に投入される時代があった。組み込み機器が粗製乱造され、作っても作っても儲からない構図は今のアニメと似た雰囲気があるが、こちらはひよっこ同然のプログラマにもそれなりの給料が出ていたというところが違う。ひよっこたちの面倒見を任される数少ない出来る人が被害を被っていた。